諫早市の歯医者をしている「諫早ふじた歯科・矯正歯科」の理事長の藤田です。
1990年に長崎県諫早市多良見町中里で歯科医院を開業しました。もうずいぶん昔のことです。当院ができるまでという内容で、10数年前に書いたブログですが、時間が10数年経過しましたので少し内容を修正・加筆します。以下お読みください
―勤務医時代1 ―
実は大学卒業35周年が過ぎました。歯科医師となって丸35年が経ちました。早いものです。
ちょうど私の卒後研修をした医療法人『恵歯会』も45周年を迎えられました。その記念に勤務医時代を振り返ってみます。
思えば恵歯会にお世話になったのが26歳から3年間。時の経つのは早いものです。私がいたころは、『恵歯会』の全盛期?(今が全盛期と怒られるかな?)で、本院、分院含めて13くらいありました。茨城県に3医院、山口県に5医院、広島県に1医院、沖縄県3医院、福島県に1医院。そしてタイはバンコクに技工所。同期の先生も10名近くいて、すごく楽しかったですね。
まず1年目の最初、4月に恵歯会OBの防府市の城島歯科に赴任しました。城島院長からは、診療のいろはを習いました。小児患者の扱い方、治療の仕方。上あごの親知らずの簡単な抜歯法。など、私の診療の原型になりました。また週に一度、防府の航空自衛隊の基地で歯科診療にも当たらせてもらいました。それも私一人きりです。歯科医になりたてのときでしたから正直不安でした。そのときの我慢強い隊員さん。ありがとうございました。
その後、1ヶ月のローテーションで、5月周東歯科センター、6月久米歯科医院、7月島田歯科医院、8月本院銀座1丁目歯科を回りました。全ての歯科医院のスタッフがまだ若く、きらびやかなエネルギーに満ち溢れていました。銀座1丁目歯科では朝9時から夜の9時まで延々と仕事をしましたが、そのときに仕事に対する忍耐力がついたと確信しています。当時の各医院の院長の先生方、城島院長、長濱院長、船津院長、前園院長、そしてスタッフの皆さん、本当にありがとうございました。そのときに行った、秋芳洞や、川棚温泉の瓦そば、また、鳥料理の豪快な山賊焼きなど、今でもなつかしく思い出します。
―勤務医時代2 ―
勤務医時代の1年目のことです。4月から、8月まで山口県の徳山市(現在の周南市)で勤務しましたが、いきなり9月に異動です。
山口県から茨城県への転勤となりました。同僚で大学からの同級生のY先生と共に、茨城県の桜ヶ丘歯科センターへ赴任しました。山口県から茨城県へは私の愛車「トヨタスターレット」で約一日かけて高速道路を走破しました。これから後にもこれほどの距離を高速で運転したことはありません。
茨城県では桜が丘歯科センターと西町歯科医院をはさみ翌年の3月まで副理事長であられる山城哲郎先生のもとで修行をしました。
つくば市では、それまでの伝統に習って、何も歯医者になったのにここまでの廃墟に住む必要はないのにと思えるような『鳥小屋』と呼ばれたバラック小屋に住んで、生まれて初めて部屋のコップの中の水が凍るという現象を見ることができました。
筑波山からの吹き降ろしの冷たい風は、隙間のある窓からヒューヒューと入ってきます。寒くて寒くてセーターの上にのスキーウェアーを着、その上にダウンジャケットを覆って寝たことを思い出します。
でもそんな寒い夜に哲郎先生の”集合”の声がかかり、思いがけなくもすし屋や飲み屋につれていってもらい、暖かい思いをして帰ったことも多々ありました。哲郎先生ありがとうございました。
遊びでは、つくばでは、生まれて初めてスキーをしました。土曜日の夜になると大勢の同僚と待ち合わせて、哲郎先生から借りた、ランドクルーザーで新潟の越後湯沢を目指します。
スパイクタイヤを履かせたランクルでブイブイ言わせて走ります。今考えると粉塵撒き散らしですよね。
始めてみる雪国の降り積もった雪に驚き(私は生まれて26年間、長崎を離れたことがありませんでした)、初めてのスキー場でユーミンの音楽がこれほどスキーにあうのかと感激しました。(当時スキー、スキューバダイビングがトレンドで、今は大俳優の織田裕二が『彼女が水着に着がえたら』でデビューしたころです。)
かっこよくパラレルですべる人たちを尻目に、ボーゲンで転びながら滑ったものでした。5-6回位いろいろなスキー場にいきました。スキーのあとは湯沢の温泉に入って、まいたけのてんぷらを食べて帰りました。当時はまいたけは珍しかったですよね。考えてえてみたら、もう20年近くスキーをしていません。
―勤務医時代3 ―
1年目は主につくばの桜ヶ丘歯科センターで診療しました。約7ヶ月を歯科センターにて研修を積んだことになります。そこでは院長が山城哲郎先生、副院長は山田先生と岩本先生。先輩たちが4名くらい。そして同期が4人くらいと、かなりの数の歯科医師がいました。
厳しくも、楽しい、7ヶ月でしたね。朝早く診療所に行き、あらかじめ作った口腔模型で診療のシュミレーションをする。それを7ヶ月間毎日毎日、延々と繰り返しました。同期の先生たち全員で朝トレです。先輩達からの指導と、同期の先生達との励ましあい、そしてライバルに負けないぞという気持ち、そういう毎日が、私たちの実力を大幅に、驚異的に上昇させたと思います。
そこでいろいろな研修をしましたが、今でも記憶に残っているのが、やはり関東の患者さんたちの口腔内に関する意識の高さです。今、長崎という日本の西の果てにいると関東の患者さんたちと比較して、口腔意識はさすがに勝てません。長崎も随分高まってきたと思いますけれどね。
つくば学園都市で研究機関が多かったせいかも知れません。歯科の説明も良く聞いてくれますし、歯の材料なども必ずいい材料を選ぶ方が多かったと思います。つまり自費治療を受ける患者様の割合が大変多いのです。
後で、長崎県の県民所得を、関東地方と比較して、あまりに違う事実を知って、なるほどな、と思いました。医療に格差はつけられないとも思いますが、よりいい治療を受けたいという方には、より良い医療を提供するのも私たちの務めです。(勘違いして欲しくないので断っておきますが、保険治療でも一生懸命、精一杯の治療はしております。)
そういう自費治療に多く携わることができたのもいい経験だったと思います。
―勤務医時代4 ―
2年目は、山口県徳山市のグリーン歯科に分院長として勤務しました。いきなり分院長です。同期ではただ1人院長に昇格しました。不安はありましたが、なぜか自分はできるという自信はありました。診療に関してはある程度の確信がありましたからね。その医院は歯科医師1人、歯科技工士2人、女性スタッフ5人というこじんまりした医院でした。
(でも考えると、現在それより小規模の歯科医院がほとんどです。)
この歯科医院は理事長の自宅の1階にあり。2階が理事長の自宅。3回はビリヤードや、エクササイズマシーンがあるトレーニングルームです。
歯科医師は私一人で非常に寂しい思いをしましたが、その代わり、歯科技工士のS君やO君と筋トレや、ビリヤードなど理事長といっしょにしたことを懐かしく思います。
この1年間で数多くの患者さんを診させていただき、その後の私に歯科医療に大きな方向性を持つこととなりました。というのは、1年目は、転勤が多かったせいか、1人の患者様を初診から、治癒まで診ることが少なかったのです。1年間腰をすえることで、ひとつの診療行為がどういう結果を持たせるかがわかります。それによって症例ごとに、どうすれば患者さんにとって有用性があるか?そして満足してもらえるのか?がわかるようになりました。診療に明け暮れた1年でした。
―勤務医時代5 ―
3年目は、沖縄石垣市の山城歯科医院へ院長として赴任しました。石垣市は八重山地方にある日本最南端の市です。なんたって沖縄本島より台湾の方が近いのですから。
最初初めて石垣島を飛行機から見たとき、それは感動しました。リーフに囲まれたエメラルドの海。そして赤土の緑の島。こんなにきれいな島があるんだ!と
飛行機も当時は南西航空の小さいジェット。(当時の石垣空港は滑走路が短く大型ジェットは離着陸できません。)着陸と同時に強烈な逆噴射をします。すごいブレーキで前のめりになります。これも初体験。逆噴射はすごい。最初は頭を前のシートにぶつけました。
(新石垣空港建設は、観光客を誘致するために長年の悲願でした。)滑走路を長くするための新空港建設は、いろいろな問題を抱えながら、空港候補地が二転、三転します。
サンゴで有名な白保の海も候補にあがっていましたが、サンゴを守るために反対運動が起こりました。他の候補地も、東京の大資本企業などが進出してきたりして、転売目的などで島の土地が異常に値上がりして、バブル状態になっていましたね。
【右往曲折して2013年3月7日に新石垣島空港は開港しました。南ぬ島 石垣空港(ぱいぬしま いしがきくうこう)として有名になっています。私はまだ新しい空港を訪れておりません。いつか行きたいと思っています)】
赴任して早速、川平湾、白保の海、カーラ岳と島を1周しました。なんて美しい島なんだ!感動です。太陽はまだ4月なのに強烈な日差しです。私の真っ白な肌が、1週間で黒くなりました。
ちなみに石垣島では、直接肌を焼くと大変なことになります。必ず、シャツを一枚着てから焼かないといけません。また、川平湾近くのビーチでは巨大なまこが一杯です。
本当に驚きました。あちこちにサンゴがあります。また、魚はカラフルな色がついてます。イソギンチャクとクマノミ。美しい。早速シュノーケリングでもぐってみます。水深の浅いとこでも十分楽しい。
スキューバダイビングのライセンスを取ろうと決めました。
―勤務医時代6 ―
石垣島の思い出は、楽しいことばかりでした。スタッフの直子姉さんと孫さん、宮城さんたちなど優しい人たちに囲まれ、かっと照りつける太陽と、エメラルドの珊瑚礁と、さんしんの音に酔いしれた1年でした。泡盛も島独特の飲み会でやるオツーリも今思えば懐かしいですね。当時は飲めない酒に、恐れおののいていました。
石垣島では、毎週ダイビングに明け暮れ、50本くらい潜ったことを思い出します。
ダイビングショップ『T&M』の原さんお世話になりました。あの毎週乗っていた豪華なクルーザーとても今では乗れません。原さんの店でダイビングライセンスを取り、小浜島、西表島、竹富島いろいろ行って潜りました。
クマノミ、グルクン、アオブダイきれいでした。ヨナラ水道のマンタ、雄大でした。懐かしいです。でもダイビングも、長崎帰ってきてからはそれっきりです。あのウエットスーツは全く入らなくなりました。体型が大きく変わったからです(涙)。
西表島はダイビングしなくても魅力的な島です。残念ながら西表ヤマネコには遭遇しませんでしたが、マングローブの茂った川、ジャングルなど秘境を満喫できます。癒しにもなりますね。
ゴルフも良くやりました。石垣島ゴルフクラブ。日本最南端のゴルフ場です。
コースからリーフが見えます。美しくて、なおかつタフなコースです。すばらしいコースでした。
石垣島の山城歯科の特徴は、石垣島以外の離島(竹富島、小浜島、波照間島、西表島、黒島、与那国島)から歯の治療のために船、飛行機に乗って、やってきます。当然、やれるところは少ない回数で治療して欲しいと患者さんが希望します。
そのため、一度にたくさんの歯を同時に治療するという特殊な治療も経験しました。
このときの経験も今の診療に生きています。現在、私の医院でも、他県とか、離島から治療に患者様が来院されますので、なるべく少ない回数で、できる限り患者様の希望を聞くように心がけています。
つづく…